わくわく木版画

木版画入門教室やっています。https://iihanga.com/

木版はがき:ほおずき


木版はがき「ほおずき」
200円

 7月を待たず、新聞紙上には、早くも「ほおずき市」のニュースが流れた。といっても、浅草のそれではない。ほおずき市はあちこちで行われるので、その走りが記事になったのである。
 
 最も有名(といっても関東ではと言うべきだろうな)なのは、浅草の「ほおずき市」なのだろうが、これはもう少し先、7月の行事である。旬というか、露地でほおずきが色ずくのは8月だと思うから、市に出回っているのは促成栽培だろう。
 田舎者の感覚からいくと、7月のほおずきはほおずきらしい気がしない。いかにも熟さない姿に見える。葉も実も、うすっぺらで華奢だ。都会では、そのほうが暑っ苦しくなくて良いのかもしれない。

 旬の露地のほおずきには、野生の味わいがある。全体がゴワッとして、棘でもついていそうな迫力がある。それにあの赤い実が濃く色づくから、ますます迫力がでる。そんなほおずきの実でホオズキを作ると、破れないでしっかりした大きな音が出るのだ。浅草のほおずきでホオズキを作ったことがあったが、破れやすく、皮も薄っぺらなので口の中で潰し甲斐がなく、いい音がしなかった。華奢で小奇麗ではあるが、頼りなくてつまらない。

 このように書くと、この文章なんなんだ! と感じる人が多いんだろうな。いまどき、ホオズキで遊ぶなんて私も聞いたことがない。あの赤い袋を裂いて、ひっくり返して、実を頭にして、てるてる坊主人形を作って遊んでいる女の子なんて、東京では見た事がない。田舎では、結構男の子も口の中でグチュグチュとホオズキを鳴らしていたものだ。もっとも、チューインガム代わりのようなものだったんだけれども・・・。

 背景の青が、葉の部分にも赤い実の部分にも下色になって重なっています。そのお陰で、緑に濃い色合いの部分が出来、赤い実にも陰影がついて立体感を強調しています。黄色も同様で、葉の明るい部分と実の明るい部分を重ね色にして表現しています。

木版はがき:ニッコウキスゲ


木版はがき「ニッコウキスゲ
200円

 日光の霧降高原は、ニッコウキスゲの花が山の中腹から山頂まで続く。リフトで移動すると、山腹から頂上までの間で、花の開き具合が違っている。タイミングの良い時期に訪れると、満開の花の中から、山頂近くの蕾状態の咲き具合まで、段階ごとに鑑賞することが出来る。

 一方、こちらは信州・霧が峰。なだらかな高原の霧が峰では、平坦な草原をニッコウキスゲが埋め尽くす。見渡す限りといった状態のキスゲの群落は、霧降高原の縦方向の群落とはまた趣を異にして見ごたえがある。

 キスゲは甘草とスタイルは似ているけれども、前者のほうが都会的。ほっそりとシャープでモデル風。片や甘草は、幅広のやや波打った葉、花も波打つと同時に、荒っぽく開きすぎの様子。残念ながら、山出しの感をいなめない。そのくせ生息地を吟味すると、キスゲのほうが山の中に育っている。里の甘草より、いくらか深窓の令嬢の如し、か。

 甘草の朱を帯びた花色より、キスゲの花は黄味が強い。花時を過ぎていても、あまり赤味を感じさせない。それがまたいくらかキスゲを上品に感じさせている。面白いことに、甘草の花は赤味が強い分葉が薄く、葉の色が黄緑に近い。キスゲは葉の緑が濃い目であるのに、花色が黄味が勝っていて濃淡のバランスをとっている。それぞれを単独で鑑賞すると、そうしたニュアンスの違いによって、バランスがちゃんと成り立つように出来ていることがわかる。う〜んさすが、自然は偉い! 神様は本当に偉いな〜!!

 版画的に見ると、これは基本形であまり説明するところがない。全てをアウトラインでかたどって。その枠の中に色をはめ込んでいる。浮世絵の時代のメインの手法であった「主版法」(輪郭線をまず彫り上げ、その版を別の板に転写して各色版を作る)そのままの手順である。葉の部分に、黄色の重ね色で濃淡が表現されていることに留意してもらうくらいかな。

木版はがき:笹飾り


木版はがき「笹飾り」
150円

 年に一度の出来事。
 いろいろあると思う。
 思いつくのは人それぞれ、誕生日でもいいし、結婚記念日でもいい。ま、たいていの記念日がこれに入るから、365以上の出来事を思つくことが出来るわけである。なにしろ日本では、「何かの日」になっていない日はないらしいから・・・。

 それでも、年に一度の出来事と普通に考えたときに、一番連想しやすいのが、七夕の話であろう。「まるで七夕みたい」とたとえに使うほどだから、代表と考えていいように思う。もっとも、最近の若者層がそんな画一的な連想を抱くとも思えないが・・・。自ずと書き手の年齢が想定されてしまうかな?

 まあ正直なところ、7月7日の七夕の日には、早朝からサトイモの葉に溜まった露水を集め、墨を摺り、短冊に願い事を揮毫する。そういう一連の作業を、毎年まめまめしく行う暮らし振りであった。田舎の利点は、自然の中からのそうした材料が手軽に入手できること。短冊を飾る笹竹も、裏の山に入って、手ごろな大きさのものを朝のうちに準備しておくのである。しかし、七夕の行事の一番の記憶は、そんなところにはなかった。一連の行事を終えて庭の涼み台にごろ寝すると、川幅の広い銀河が暗い空の中央を悠々と流れ、その高い空を、星々をじっと凝視しているうちに、天の高さが遥かに遠のいたり、急速に近づいたりして、自分が宙に浮いたような気分になっていくのであった。時間の消滅した、無限と連なっているようなその感覚。それが一番の記憶である。

 外国の文化を否定するのではないが、南瓜に灯を点したり、生きている植物を遠慮会釈なく電線で簀巻きにするような事に町中が狂騒するようなことよりは、自分の国の文化的行事を、もう少し再考したほうがいいのではないか、と考えたりもする。特別に保守的になったわけでもないが、カブレ感覚は好きではない。

 さて、この作品の色分解は、もっとも基本的な分解で勉強になると思う。機械のオフセット印刷の分解法に似ている。もっとも機械のような網点の集合にはなっていないが・・・。機械は赤・青・黄色の3原色と黒の4色の網点の粗密で全ての色を表現する。この笹飾りも赤・青・黄色の3原色と黒ならぬ単独の深緑色の4色で出来ている。赤+青=紫、赤+黄色=オレンジ、青+黄色=黄緑。元の3原色に重ね色の3色が加わり6色。それに深緑の笹竹で合計7色。4版7色と言います。

 版画の場合、3色使用すると最大8色まで色を出すことが出来る。なになに?どうしたって7色だ、と言うの? 作者というのは貪欲なものです。どれかの色で枠を作ると、ホラ!中に白い面が出来るでしょう。つまり、紙の地色を白として利用するわけなんです。つまり、元の3色+それぞれの重ね色3色+3色全部の重ね色1色+紙の白=8色となります。

番外編:「谷中、花と墓地」


「谷中、花と墓地」   サイデンステッカー著
みすず書房(http://www.msz.co.jp/) 2,520円(2,400円+消費税)

 人は思いがけないところで繋がる。私がサイデンステッカーさんと知り合ったのは、まったくの偶然のようなもの。初対面で自己紹介しあったとき、名前を伺ってどのような立場の人かはすぐ理解したのだけれど、門外漢であってみればそれ以上に深入りのしようもないから、当たり障りのない世間話で終始した。再度お会いするとも思っていなかったし・・・。

 時を経て、谷中はもちろん、浅草から下町界隈の散策に同道し、なじみの居酒屋めぐりにお付き合い。結果して、最期を看取る。お別れの偲ぶ会の参会者のために私家版「サイデンステッカー」を制作した。それに目を留めたみすず書房の方から出版のお話があり、私家版に24篇を増補して一書になったのがこの「谷中、花と墓地」である。

 一書になる大本のきっかけを与えてくださったのは、上野商店街の「上野のれん会」である。会で発行しているタウン誌「うえの」に連載のお話をいただかなかったなら、この一書はありえなかった。期限なし、テーマなし、で自由に書かせて下さったから、いろいろな領域に踏み込んだ文章が成ったと思っている。

 サイデンステッカーさんは、若い頃から結構トラブルメーカーだったという。出版人ともおおいにやりあっていた。時折、かつてを楽しむがごとく顛末を話してくれたものだ。なにしろ、日本人の根回しや、まあまあーや、次回からは○○としても今回はとりあえず、などといった曖昧さを良しなかった。しかも、駄々っ子のように、「どうしてですか、それはおかしいですよ」と歯に衣着せぬ発言で食い下がるから、相手は閉口したらしい。結構けむったがられていた、と本人も述懐していたものだ。しかし、この著書に目を通せば分かるが、反面では日本人も呆れるくらいに情緒を大切にしていた。

 愛猫の死に触れるときなどは、ただでさえ大きなギョロ目に水晶体をもう一個乗せたように見えるくらいに目を潤ませて、感傷を語ったものだ。そうした感情の振幅や細やかさが垣間見られる本書は、著者の他の出版物では伝わりにくい人柄と人情味に触れるめったにないチャンスを与えてくれる。興味のある方は、是非に是非に、目を通してみていただきたい。

 お薦めします。

 表紙のひなげしの絵は油絵小品。サイデンステッカーさんと旧くから親しくしていた故福田裕氏の初期作品。谷中が、ひなげしと特別な縁があるわけではないが、サイデンステッカーさんはこの作品が気に入ってハワイまで持参し、あちらの居間に飾っていた。遺骨をハワイにお届けした際に、記念品だからと東京に持ち帰えらせてもらった。「花と墓地」の花に掛けて、どうせなら縁のもので纏めたいと表紙に使っていただいた次第。ほかにも、いろいろな縁が絡み合って成った一書でもあります。

 そんなところも、理由にならないながら、ちょっとお薦めです。


 

木版はがき:泰山木


木版画「泰山木」
200円

 梅雨時の晴れ間などに、電車の窓から何気なく線路際を眺めていると、突然、黒っぽい緑の葉の上に大きな白い花が咲いているのが見えて、ハッと気持ちが揺さぶられるときがある。これが泰山木(たいさんぼく)である。花も大きいが、木自体もとても大きい。従って、地面を歩いている時は、気がつかないで通り過ぎてしまうのだ。電車の中だと普段より視線が高く、町を鳥瞰することになるから、高木の泰山木の花が目につきやすくなるのである。

 JR山の手線の巣鴨駅近くに「六義園」がある。松平候の屋敷跡だが、この庭園に、大きな泰山木が確か2〜3本あった。園の解説では、中国から贈られた日本で初めての泰山木であると書いてあったように記憶する(定かでないからちゃんと知りたい人は園に出かけてみましょう。なかなかの名園です。春はしだれ桜も有名ですよ)。このはがきをデザインするとき、六義園までスケッチに行ったから、今頃花盛りなのは間違いない。

 泰山木と朴(ほう)の木の花はよく似ている。色合いや形が同じ花のように見える。しかし、慣れてくると泰山木の方が全体に肉厚で葉がゴワゴワと硬く濃く、朴は薄手で葉もしなやかで葉の色も黄緑色をしているのですぐに区別がつくようになる。

 朴も高木で、しかも山野の木だから、普段目にする機会は少ない。しかし、やはりこの時期の行楽でロープウェイを利用したりすると、眼下の緑一色の山肌のところどころに、そこだけにスポットを当てたように白く輝く朴の花を目にすることが出来る。花の中心の、いわゆるおしべ・めしべの部分がツンと特徴的に突き出ていて、愛嬌がある。

 このはがきはちょっと凝りました。6版です。白い花の陰影をどう処理するか悩みましたがあまり淡くせず、代わりに葉の色を淡く表現しました。はがきのデザインなのであまり濃い色にならないようにしたのです。
 花の陰影に使った淡黄・ピンクを葉っぱの色合いの変化に利用して重ねてあります。葉の黒っぽい緑は板ぼかしでエッジを斜めに彫り、せっせとサンドペーパーをかけて滑らかなスロープにして、柔らかな雰囲気を作りました。

 木版画は、彫りの工夫、摺りのさまざまなテクニック、その両方の技法を駆使して表現を深めていくのです。

木版はがき:ホタルブクロ

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木版はがき「ホタルブクロ」
150円
 「温暖化」は、さしたる深い洞察もないままに最近はメディアに氾濫した格好だが、花々の様子を伺っていると、その足音がひたひたと近づいてきているのが分かる。なんといっても、まだ入梅になったばかり、しかも早目の入梅だというのにホタルブクロがもう花をつけているのである。

 紫陽花の時にも書いたことだが、しとしとと降る雨の景色の中に赤味の色が射していると、なんだかそこだけに温もりが集まっているように見える。赤といっても、この場合は真っ赤なバラといった強烈な赤でない方がいい。紫陽花の紫味を帯びた赤、赤いホタルブクロのような、ややくすみを持った淡い赤の方が雨に曇った風景の色調に調和する。

 ホタルブクロに、本当に蛍が住んでいるのかどうか、知らない。知らない振りをして、本当に住んでいるんだと信じ込んでいる方が楽しい。闇が落ちて、木々の梢がざわめく夜半、小さな明かりのみを頼りにして林の道を恐々と辿っている。そのとき、ホタルブクロの花の中で点る蛍の光が道脇のあちこちに揺らめいている。そんな風に、イメージを膨らませると、たとえ嘘でも信じる者の現実の方が楽しいものと思う。

 淡い青紫、淡い紫がかったピンク、白。ホタルブクロは大方はこの3色だが、最近は例によって品種改良が盛んだから、もっと色数もあることだろう。似たもののカンパネラは、花屋ではもっとたくさんの花色を見かけている。

 さて、このはがきはピンクのホタルブクロにしています。何版でしょうか? 最初からこの便りに目を通している人には、簡単に分かってしまうと思います。
 ①肌色に近いピンクと②紫味のピンク、それと③オリーブグリーンです。最初に①のピンクで花の下摺り。次に②のピンクで花と顎・茎・葉脈。最後が③のグリーンで顎・茎・葉を重ね摺りします。①と②の重ねのとき②の花びらの先を少し削ってぼかします。同時に花筒の角を細く彫って下から①のピンクを出し、筒の形を表現しています。小さくて簡単な作品なのですが、版で表す基本の表現法が使われています。画像が見えにくくて済みません。

木版はがき:てるてる坊主


木版はがき「てるてる坊主」
150円

 東京もいよいよ入梅か。
 今朝の新聞では、梅雨はインド方面での大気の動きがはるか日本にまで影響して起こるものらしい。国境とは無縁に変化する大気の動きが、われわれの季節を支配している。

 梅雨だから、と分かっていても、人事には雨の欲しくない日がある。なんとか晴れて欲しい! どうか神様、明日だけは雨を遠慮してください! 子供のころはそうやって真剣に願い事ができたものだが、さすがに大人になるとどこか心の奥が冷めていて、この天気図じゃ晴れろって言うのが無理だよな、と願い事の片隅で分析などしている。その反面、晴れなきゃ大変なんだよ、これまでの努力が台無しなんだよ・・・とやきもきして、やはり神頼みしている。

 素直に「てるてる坊主、明日天気にしておくれ〜」と軒先を見上げているほうが精神的に無理がなさそうだ。どっちにしても結果に変わりはないからだ。つまり、なるようにしかならない。だから、へのへのもへじ〜〜〜と遊び心で愉快な顔を書いて面白がって、ただ待つ。


 さて、この版画はなんとも解説しようがないなー。赤い線、黒い線。水色の面。丁寧に彫って、摺り重ねるだけだ。重ねの色もないから、色味はあなたの好きなイメージに沿って自由にどうぞ、と言う感じ。
 でもそれではちょっとそっけないので、摺りと彫りのことでエピソードをあげてみます。

 摺りの実演をしていると、しばしば熱心なお客様から「わぁ〜きれいだけど、でもこれって、彫るのが大変なのよね〜」と声をかけられます。ちょっと返事に窮します。彫るのも確かに大変なんですよ。でも、こつこつ彫っていくといつか彫りあがります(ここでは上手・下手は別問題と考えて下さい)。摺りは版毎に摺りかたが違うのです。版の彫りあとの状態を判断して、摺り方を微妙に変えなければなりません。それに絵の具の濃度や水加減、刷毛の含みなど考慮して、バレンの圧力や回し具合を調整します。それが摺りの技術になっていきます。
 そんなわけで、一度でも制作経験をお持ちのお客様は「でも、摺りってなかなか思うようにきれいに摺れないのよね〜」と首肯されます。