わくわく木版画

木版画入門教室やっています。https://iihanga.com/

木版はがき:クルマユリ


木版はがき「クルマユリ」   ホーム頁 http://kobo-yuu.kir.jp
150円

 まもなく、6月が終わる。一年の折り返しになるから、ある程度年をくった人ならいやでも「あー、今年ももう半年が過ぎてしまった!」という述懐を抱いてしまうだろう。本当に、年が明け、春が来て初夏の爽やかな風に吹かれ---、と四季折々の味わいに浸っているはずなのに、なぜ振り返るとこんなにスピード感のある不安に襲われるのだろう? そんな疑問は感じてしまいますよね。こうした時間の経過感にはちゃんと理由があるそうです。先日来、書店にそれに関して本が出ておりまして、テレビ等でも取り上げられていまして、興味も湧くし、読んでみたいと思いながら、とうとう買わずじまいでした。

 でもこうした理由なき喪失感の、後の季節が忙しいのです、よね。月が変われば、変わった途端にもう夏の休暇情報で大賑わいになることでしょう。
 そこにきてやっと注目を浴びるのがクルマユリです。正直に言うと、クルマユリはあまり人気がないです。百合といえば、そりゃ好む人は大勢いるんですよ。でも、クルマユリを知っている人は少ないからな。
 なぜなら、このユリは高原に住む百合だからでしょう。それも、ある程度の高度が必要ですから、山登りの人々には愛されていても、一般の方々はあまり見た事がないかもしれませんね。でも、平地でも咲かせている愛好家はいらっしゃるんですよ。
 
 高原でこの百合が群生している様は見事ですよ。色が強いから、夏来るらん高原の濃い緑と真っ青な空にこの赤がとても映えます。赤といっても、オレンジ系の濃い赤ですから、青い空、濃い緑とはそれぞれに補色に近い関係になるのですね。真っ青な空ですからもちろん快晴です。そういう具合にお天気にも恵まれて、やっと目的地に近づきそうなころあいに、鮮やかなコントラストのお花畑に遭遇すれば、たいていの人は、「ヤッホー」と叫びたくなるでしょう。

 百合の花の人気は高いですが、このところはもっぱら「カサブランカ」系の花が人気のようです。あの形は、日本原産の山百合がルーツなのですから、文句を言う場合ではないのでしょうが、私の好みではありません。あれだけ馬鹿でかくて開放的だと、なんだか「恥知らず」という言葉が浮かんでしまって---、私も旧世代ですかね?

 百合にしろ紫陽花にしろ、すべての植物がそうですが、近年はともかくアメリカナイズのヨーロッパナイズで、花をやたらに大きく、やたらに着色しているだけ。あれは品種改良というよりは、アートフラーワー作家に、つぎつぎと珍しい色のクロスを提供している、それだけのことのように見えます。花の命とはまったく無関係。単なる色つき素材に過ぎないんじゃないでしょうか?

 小ぶりな花のクルマユリ。クルッと反り返った花びらの形に愛嬌があって、色の強さとは逆に清楚なイメージもありますね。

 この版画、例によって色版の数を制限するために、アウトラインの線彫りと葉・茎の濃い色をムラサキ茶を使うことで1版減らすように工夫してあります。

木版はがき:蚊取り線香

木版はがき「蚊取り線香」   ホーム頁 http://kobo-yuu.kir.jp
150円

 暖冬の影響も大きいのだろうが、私の住む大都会の中心部でさえ、近年は冬の蚊を目撃することがある。しかも、通常1〜2階の高さまでしか飛来しないと言われている生物なのに、5階や10階で飛んでいることもある。階段を伝って住み着きながら数年かかって上階に到達し、住み着くそうだ。生命は強靭な適応能力を持っているものだ。カラスたちが都会のコンクリートジャングルを言葉どおりに巨大な森林に見立てているように、蚊も都会を一種の野生の塊と考えているのかもしれない。

 梅雨時の雨の知らせと共に、蚊の来襲が始まるのが普通だったが、今年は4月の半ばにあの特有のブーンという羽音で目覚めたことがある。5階だからやはり適応力の強い冬の残り蚊だったのに違いない。ブンブンというより、ブゥゥンという弱弱しそうな羽音だったから、残り蚊が温かくなって動き出したばかりだったのだろう。2,3日悩まされたが、それっきり姿を見せなくなった。すでに梅雨に入ったが、ありがたいことに後続軍はまだ出現ししていない。

 蚊は厄介な生き物ではあるが、彼を退治する蚊取り線香のある風景は、夏の情緒を想起させるよいモチーフでもある。それにしても、あの豚さんの蚊遣りは誰が考えたものであろうか。とても奇異な取り合わせなのに、広く受け入れられていることもよく考えてみると不思議である。あれは言ってみれば「ミシンとこうもり傘の出会い」と同じくらいシュールな発想かもしれません。

 このはがき、一色ずつ摺るだけの作業ですが、最初の赤はバレンを使わず、ポンポンと手で叩き摺りします。はがきは裏表貼り合わせの和紙ですが、絵柄面は長繊維のいかにも手漉き和紙風の手触りの紙を使ってありますのでシンプルなデザインながら、趣のある風合いが出ています。なんといっても線香は煙が主役でしょうから、柔らかなムラサキの色を選びました。

木版はがき:枇杷

木版はがき「枇杷」     ホーム頁 http://kobo-yuu.kir.jp
200円

 少年期まで育った田舎の家には、枇杷の木が2本あった。一本は家の裏手で、二階家と同じぐらいの高さがあった崖の下で、しかも便所の裏側という環境。崖下のその場所には、柿の木も育ち、タラの木にオオムラサキツツジも混在していて狭い場所にいくつもの植物が競うように屋根の上まで枝を伸ばしていた。

 もう1本は東側に広がった畑の真ん中にあって、これは周りにほかに立ち木もなく、1本だけ思う存分に枝を伸ばしているのであった。そういう環境の違いのせいか、崖下の木は実の色もレモン色っぽく青ざめ、枇杷の葉特有の葉裏のざらざらや全体のゴワゴワ感が、畑のものに比べて薄弱だった。だから家の者も、畑の実は熱心に採ろうとするのだが、どうしても崖下の実は等閑視されやすく、家族に無視された挙句、小鳥の餌になってしまうのであった。いや、小鳥も結構無視していたなあ。餌の少ない時期でもなかったことだし---。

 都会では、枇杷の実を毎年必ず食べるという人は少ないと思う。田舎の人だって自分の家に木がない人は、食べる機会は少なかったと思う。だいたい、自家栽培の枇杷なんていうものは、長崎の茂木枇杷や昨今の千葉の枇杷の実のように大きくて、肉厚な実なぞはつけやしない。かぶりつくとすぐに大きな種が出てきて、食べ甲斐がないのだから、田舎でだって枇杷を競って食べるなんてことはなかった。

 しかし、この木は偉いんである。枇杷の葉温灸が有名だが、葉の上から蒸しタオルを当てるだけでも、体にいい作用を与えてくれる。実際、がんで亡くなった友人を看病しているころには、枇杷の葉で助かったという人に何人もあった。昔から、そういう手当ての時のために、一家に一本枇杷を植えた、という話も聞いたことがある。

 枇杷は、普通の果物とは成育の仕方がやや異なる。年末に花を咲かせ、梅雨時に実るのである。だから、地味な枇杷の花がどんなものか、知らない人が多いだろう。なにしろ、先生さえ走ってる時期なんだから、そんなくすんだ花に感傷を寄せる暇人はいないだろうし。
 でもね。実のついた枝ぶりは、なかなか絵画的ですよ。今回はあまり版の特徴など解説する必要はなさそうです。その分じっくりとご鑑賞ください。

木版はがき:ねこじゃらし


木版はがき「ねこじゃらし」    ホーム頁 http://kobo-yuu.kir.jp
150円

 梅雨時になると、更地になった空き地には、タンポポなどの地を這う植物を覆い隠すかのように背の高い植物が繁茂してくる。その中の一種が「ねこじゃらし」だ。図鑑などを見ると、「エノコログサ」と呼ぶのが正しいようだが、ふわふわの穂を揺らしながら、ねこをじゃらして遊ぶのに良く使われていたせいか、ねこじゃらしと呼ぶほうが分かりやすい。

 全国、至る所に生息している植物だから、珍しくともなんともない。しかし、そんなに無碍にされる植物だからこそ、じっくりと観察して欲しい。よくよく眺めると本当にスタイルの良い美しい草である。たおやかにしなる茎。品良くたるむほっそりした葉。むくむくした感じの柔らかそうな穂。ねこじゃらしの群生地を逆光で眺めるのはまことに美しい眺めだ。ひとつひとつの穂の周りが銀色に輝いて、そこに一陣の風が来て、さわさわと波打つ光景は、稲田の美とまた別種の銀波の世界です。

 下地に黄を置いて、葉の重ね色を出していますが、これはまた、光の演出効果も考えた配色なのです。この黄で、穂の周辺の輝きを出そうと工夫したのですが、その効果を感得していただけるかどうか---。
 こんな小さな画像で、そんなことまで分かるか! という御仁は、ちょっと突っ掛けを履いて外へ出てみてください。今の季節なら、空き地・道端・公園の隅、土のあるところなら、たいていのところで実物に出会えるはず。本物に触れて、言わんとするところをご了解願いたし。  

木版はがき:ひょうたん


木版はがき「ひょうたん」  ホーム頁 http://kobo-yuu.kir.jp
150円

 ぶらり という言葉はひょうたんにも使うのだろうか。ぶらり と書き出すうちに気になった。糸瓜ならいかにも「ぶらり」という風情がある。でもひょうたんの風情はちょっと違っている。もう少し愛嬌が備わっているように思う。
 
 子どものころ、ひょうたんを育ってたことがある。初めてだった。心配を余所に、ひょうたんはすくすく育ち、屋根を越して伸びていった。花が咲き、小さな実が成り出すと、小さきものは小さきままにやはりひょうたんの形をしているのがおもしろく、毎日おおきくなってゆくのを眺めて飽きなかった。そのひょうたんは千成で、秋口になると鈴なりになった。

 カラカラと乾いたひょうたんにするのは実は大変な作業で、中の果肉を腐らせて空洞にするのは楽ではなかった記憶がある。ひょうたんにも大小さまざまな種類があるのを知ったのは、かなり後になってからのことだった。一抱えもある大きいものは、どうやってあの細い茎にぶら下がっていられたのか、と驚いてしまう。しかし、ぶら下がりに風情があるのはやはり小型のものである。

 このはがきは、まだ青いひょうたんだが、若い実はちょっと透き通るような浅黄色の色合いが美しい。ここでも色版の数をセイブするために黄色との重ね色をりようしています。

木版はがき:向日葵


木版はがき「向日葵」     ホーム頁 http://kobo-yuu.kir.jp
200円             

 ムワッと湿気が肌に貼りつくような空気の中、夕べ、隅田川の花火大会が終了した。雷雨の気配がずっとしていたのに、とうとう降らずに済んだから、主催者はホッと胸をなでおろしていたことだろう。3年に一度ぐらい、19時の開始直前にザーッと夕立になることがあるが、不思議と雨で中止にはならない。異常気象と言い続けているわりには、意外にも暦は正確に時を刻んでいる。
 
 正確に時を刻むのはこちらも同じ。向日葵は太陽へ向かって刻々と花の向きを変えていく。常に太陽に正対して花を開くことから名前も由来しているようだが、花の形そのものも、まさに人々が描く太陽のイメージのままだ。このイメージに対してだけは、そうかしら私にはさっぱりそうは見えないけど? といった天の邪鬼は存在しそうにない。

 向日葵は良く知られた花なので、説明は省く。代わりに、「色の不思議」について書くことにしよう。例によってこのはがきの「色分解」をする。まずすぐに分かる黄色。次に緑。花の中心は茶色だな。どうです?
 あ、いけない、いけない。線が入ってますね。黒い線。輪郭線とよく観ると葉脈も黒い線で表現してあるんだ! なるほど!

 おっ! あなた、さすがにこのブログをずっと読んでくださるだけあって、すっかり「色分解」が得意になっていますね! 嬉しいことです。成長する読者がいて、退化する筆者がいる・・・というようなことにならないように、私も気を引き締めていかなきゃ、と武者震い中なんですよ。

 黄色はオレンジ味のある濃い目の黄。緑はオリーブがかったアースカラー。茶は黒味を帯びたアンバーに紫を加えてあります。線の黒は真っ黒ではありません。かなり明るめのグレーに紫を多めに加えております。真っ黒だとコントラストが強すぎて、黄色と喧嘩してしまいます。それゆえかなり明るいグレーです。紫が入るのは「補色」効果を強調するためです。茶に紫が入っているのもそのためです。黄色と紫は「12色環図」で真反対の色です。これを補色と言いますね。色の対立が強調されて一層鮮やかに見える視覚効果をもたらします。メインカラーの黄色を強調すべく、さりげなく補色を忍ばせてあります。目で見て分かる、というようなものではないのですが、われわれの視覚はその効果を無意識レベルでしっかり認識するのです。
 明るいグレーの線は、ほかの色の彩度が落ちるのを若干カバーしています。黒は本当に強い色で、黄や緑が派手すぎるぐらいに強烈に見えていても、黒っぽい輪郭が入ると一気に鮮やかさが減退します。そんな訳で、黒の力を弱めるためにグレーにしています。現代感覚では輪郭のない鮮やかな色感の方が好まれますね。それにしても色のバランスは実に微妙。不思議一杯です。
  

木版はがき:花火


木版はがき「花火」         ホームページはhttp://kobo-yuu.kir.jp
200円

 梅雨が明けて、カーッと陽射しが照り付けると、すぐに花火の季節になる。なんのかんのと予報が騒ごうが、結局東京の梅雨は夏休み直前に明けるのである。だから、来週の土曜日はもう花火大会だ。隅田川の恒例の花火大会が来て、ぐずぐずと文句がてらに暑がっていた先日までとははっきり区分けされて、堂々と暑し、暑しと騒げるような気分になる。

  市中は もののにほひや 夏の暮れ
         あつしあつしと かどかどのこえ
         (今、手元に資料がないので表記ともども
          あやふやなまま書いておきます。後ほど
          編集しなおします)

 私は芭蕉連句のこの繋がりが好きだ。草いきれもなにもかもが一緒になって、ムワっと蒸し上げられたような空気感。あつしあつし、には、いろんな人間のさまざまな口調が飛び交うさまが想像されて、とてもリアルである。昔も今もない。

 こういう状況が好きな人はあまりいないだろうとは思う。私は大好きだが。ただ、こういう状況を想像するだけで、私そんなのいやっ!というような人は私は好きじゃない。なんだか、何にも耐性がないみたいで、いやっ!という感情の無理性
な激しさの分だけ嫌いだな、そういう人。

 十四、五年前は、隅田川の花火となると一週間前から席取りに忙しかった。桜橋のすぐ、下のほうの一等地で左右の橋の花火を交互に眺めた。遠花火というが、花火はやはり近場でド〜ンという音響を腹に感じながら眺めるのが一番楽しい。

 さて、このはがき、ちょっと普通でないのは暗い背景になっていないことだと思う。版画で黒をしっかり出すのはかなり大変な作業だから、初めからそこを避けたデザインなのである。とは言うものの、暗い背景でなくともしっかり花火を感じてしまうところが面白い。ずるをした挙句の怪我の功名だったのだが、こういう手法はちょっと面白い手法だとも考えたりするのである。

*やっと、やっとホームページが形らしくなりました。60点の出来だけどリンクしときます。覗いてみてください。ページとブログをリンクして、という計画。何年がかりになったことか!